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 2018.07.17
旧優生保護法と強制不妊手術
優生思想がもたらした悲劇

環境や支援が整えば乗り越えられる

国への提訴が相次ぐ 本人の同意なしに手術強行
 
今、旧優生保護法により被害を受けた人が、各地で国を提訴する動きが相次いでいる。今年3月、同法により不妊手術を強制された女性(60代)が、仙台地裁にて、国に損害賠償を求める訴訟を起こした。

 直近では、6月にも、北海道在住の女性(75歳)とその夫(81歳)が、人工中絶と不妊手術を強いられたとして、国を提訴した。中程度の知的障害があった女性は、結婚後に妊娠したが、親族に出産を反対され、中絶と不妊手術を強制され、夫もやむを得ず手術に同意したという。
 
 夫婦は訴訟に際し、「子を持つ権利の侵害」「待ち望んでいた子供の出生の機会を奪われた」と訴えた。
 
 熊本地裁でも、男性(73歳)が、10歳の頃に強制された手術の損害賠償を求め、提訴している。

なぜ悲劇は起きたのか――国家の誘導と、民衆の〈善意〉 
 旧優性保護法は、昭和23年、人口抑制のため「不良な子孫の出生防止」を掲げて作られた。当時は終戦直後で、貧しさや人口増加の対策として、中絶の容認とともに重視されたのが、障がい者の不妊手術だった。

 同法は平成8年まで続き、47都道府県全てで行われ、知的障害や精神障害などを理由に強制的に不妊手術を受けさせられ、およそ1万6千人以上が被害にあったとみられる。旧優性保護法の下に、家族や親族、また地域ぐるみで強制手術はすすめられた。

 しかも、同法律では、本人の同意なしに手術を強行でき、手術後に本人が真実を耳にする場合も多い。そんな悲惨な出来事の背景には、優生思想が根深くある。 NHKの特集番組で、生命倫理学の森岡正博氏は、優生思想の二つの側面を指摘している。一つは、上からの、国家が国民の質をよくしようという形での誘導。もう一つに、それを下から支える一般民衆の側の問題、「善意」の誘導だ。「本人のためを思って、こうしてあげるのが本人のためなんだ、幸せのためなんだと、つまり優生思想は、いつも善意の形を取って表れる」( 森岡氏)と、民衆側の隠れた偏見を鋭く指摘している。

 国は平成8年に同法を撤廃したものの、被害者への謝罪や救済はなく、社会の影に放置されたままだった。現在では、誰が手術を受けたか、その後どのような状況かもわからず、当時の記録も8割が不明だという。記録がない限り、被害者は訴えすら起こせない。同様の問題で、欧米の先進国では記録がなくても救済措置をとる国もあり、日本も救済や謝罪の方法を検討すべき契機なのだ。

人の生命に優劣はつけられない――多様性ある社会への願い 
 最近、奇しくも、ある有力政治家が「産まない幸せは、わがまま」と放言し、批判されていた。個人の選択である出産を、政治家が公共の場でこんな風にいってしまえる世の中に唖然とする。

 戦前は「産めよ増やせよ」と叫んだ口が、また「優秀な子孫・優秀な国民を残すために」と優性思想を叫んだ。生殖にまつわる言説は、優生思想やファシズムと簡単に結びつく危険がある。 

 子どもを産み育てる行為は、自然な営みだが、女性の身体や健康とも切り離せず、〈産む/産まない〉も単純な論理では語れない。いずれにせよ、自身で選択できる自由が、私たちにとっての権利なのだ。

 今回の訴訟では、男性の被害者もおり、〈子どもをもつ権利や自由〉が、人間の尊厳に深く関わると教えられた。優生思想をもつ「善意」の人の声は、「障害を持っていたら、子育てできない」「障害をもった子どもがまた生まれたら、かわいそう」など予想がつく。

 こんな優生思想を超えていくには、その生き様で、これらの疑問を打破している人たちに出会うのが一番だ。以前、私がボランティアで出会ったのが、障害を持ちながら子育てをし、地域で暮らす、統合性失調症のカップルだった。

 奥さんは妊娠がわかった際、医師に「あなたには子どもを産ませられない。産んだとしても、あなたには育てさせられない」と即座に言い切られたそうだ。

 そこから周囲の協力と、夫婦の粘り強い努力で出産をはたし、乳児の時は施設の助けを借りながら、やがて自分たちの家で育てるまでになった。娘さんは、両親の障害を理解しながら育ち、親族や地域の人たちにも支えられ、のびのびと育っていた。あの娘さんを前にして、人の生命に優劣はあるかなど、誰も語れないだろう。ハンディキャップも、環境や支援が整えれば、乗り越えられるものなのだ。

 障がい者でも、一人親でも、貧困でも、誰でもが安心安全に子育てできる環境や支援が整えば、日本ももっと多様性あふれた、豊かな国になれるはずなのだ。そんな可能性すら抹消してしまうのが、優生思想なのである。