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2018.09.04
社会運動と民主主義が拡がる
女一揆 米騒動から100年 (下)
 
  
 米騒動を富裕な階級と国家権力は、どのように総括したのだろうか。「所謂米騒動事件の全貌」の題で、検事の吉河光貞が昭和14年1月に序説で述べていることが的を射ている。(社会問題資料叢書1輯、「所謂米騒動事件の研究、思想研究資料特輯第51号、1974年、東洋文化社発行)

 「『米騒動』の社会的影響たるや、之と時を相前後したる彼の欧州大戦の夫と並びて近代に於ける我国社会状態に急激なる変化を招来せしめたる二大原因なりと称せらるゝところにして、『米騒動』直後、寺内々閣が総辞職を決行して原敬政友会総裁其の後継内閣わ組織し、茲に一応所謂政党政治を完成したるが如きは、其の直接なる政治的所産に過ぎず。右影響中特に顕著なるものを列挙すれば、第一には我国食糧の自給自足を目的としたる米穀政策の外地転換あり、第二には国民相剋の解消を理想としたる社会政策的施設の発展あり、而して第三には国民思潮の急激なる変化に基く各種社会運動の勃興を見るに至れるものなり」 

 と結んでいる。簡単に解きほぐすと、この総括は民衆の力に恐怖したのと民主主義運動の脅威を支配階級が本能的に嗅ぎ取ったことを吐露している。

 窮乏化した貧民、つまり漁民、農民、労働者に対して社会的救済をとらなければ、社会不安が増大することへの危機感だったといえる。

 米騒動は1道3府40県に拡がり、取り締まりのために軍隊が出動、治安維持のために騒擾の鎮圧、治安の回復の名目で多数の民衆が逮捕されたり、死亡・負傷している。検挙者は2万5千人を超えた。

 米騒動事件とは、何かと言えば、大正7年に日本の大半を席巻した米価暴騰に対する民衆の反抗だったといえる。

 米騒動の社会的本質は、明治維新以来の未曾有の国民の決起であった。米価を始め物価の高騰によって生活不安におちいった民衆が、とくに戦時成金で豪華な生活をしている富豪、米穀商や投機業者の利己的暴利をむさぼる行為に社会的不平・不満を爆発させたものであった。

 富山県魚津の漁師の女房たちから端を発した一揆ではあったが、広範な国民のなかにあった格差への不平・不満と窮乏生活をなんとか変えたいという感情に火をつけた。それは自然発生的ながらも、全国の炭鉱労働者、工場、農民の反抗心をたきつけることになり、時の政府を震撼させることになる。

 政府がとった措置は直接的な取り締まりと新聞報道の禁止だった。だが、民衆の力とその裾野の拡がりは寺内正毅内閣の総辞職と政党内閣の原敬内閣を誕生させる原動力になった。

 時の内閣の打倒は、国内においては民主主義思想の拡大、つまり大正デモクラシーへと結びつき、労働争議の頻発や普通選挙の推進運動を強めた。国外では、日本の圧制下にあった朝鮮半島の「三・一運動」や中国の「五・四」運動に影響を与えた歴史的な事件となった。

 米価高騰に苦しみ、共同井戸の回りに集まり、話し合ったことから始まった米騒動。漁師の女房たちが銀行の米倉の前で、米の船積み作業をしていた仲仕(人夫)の着物をつかみ、米俵につかまって積み出しを体を張って阻止しようとした行動は、全国へと野火のように拡がり、時の内閣を打ち倒し、日本の民主主義を拡げる力となったのである。政府は譲歩して米の値段を下げるなどをせざるをえなくなった。

 民衆の力によってこそ、社会福祉の充実も実現することにつながったことがわかる。

 米騒動が社会運動へと拡がり、労働組合、農民組合運動、全国水平社創立、普通選挙の獲得、社会主義運動に多大な刺激と影響を及ぼしたのは歴史的な真実である。
                                  (大ア)

富裕な階級はどう総括したのか
切実な要求は 必ず世論が味方する

 明治の近代化以降、長男以外は奉公、養子に出され食い扶持を減らす。そして、農村から都市へと人口が移動。農家の人口は減り、米を買う人々が増えていった。

 とくに買う人々の漁師の男たちは、3月から北海道へ出稼ぎに出ていたので、夫の留守を守るのは妻たちであった。当時は、子沢山で1日の米の消費量は平均家庭で1日2升であった。

 その米の価格が1升24銭だったのに、33銭、40銭、45銭、しまいには50銭というように高騰した。民衆にとってどうにも我慢がならない状況になり、銀行倉庫から米俵が積み出されるのを阻止する行動へと突き動かした。

 漁師の女房たちは無償で米を寄越せと言ったわけではなく、真っ当な価格で販売してほしいと願っただけである。当時、魚津町では町制施行後に「貧民救助規定」を全国に先駆けて施行していたが、町としても手に負えない事態であった。そうしたことから米騒動へと発展したといえる。

 米騒動を通して学べることは、「おかしいことはおかしい」と率直に出し合うこと、連帯を通して大きな行動が生まれることがわかる。切実な要求は必ず世論が味方をする。略奪はいけないが、正々堂々とした正当な要求は誰も止めることはできない。 その結果、寺内内閣が倒れたことで、そのことを証明できる。

 今年、米騒動から100年を迎えた。せっかくだから、100年前の歴史的な出来事にふれる旅に魚津市を訪れたらどうかと思う。 
                           (魚津市民 米沢義則)

    

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