道しるべ

首相の「自助・共助・公助」
公助の充実こそ自立の条件

2020/11/17
菅首相は自民党総裁選で、私の目指す社会像は「自助・共助・公助、そして絆」と掲げた。所信表明演説でも、同じ主張をした。この主張は、自己責任論を強め、格差・貧困の拡大を放置する。

自己責任論を前面

 「自助・共助・公助」論は1990年代に登場する。その意味するものは、「自助」は個人の努力、「共助」は「家庭、近隣社会、地域社会、企業」等の支援、公助は「公的部門(=社会保障制度)」であった。

 21世紀に入り、2006年に「共助=社会保険」とし、「公助」を「困窮などの状況に対して救貧的・選別的に対応する公的扶助や社会福祉とする」との見解が出た。

 それ以降、厚労省はこの解釈を採用する。社会保険(年金、医療、介護)は保険とは言え、強制加入で公費(税)も投入され、公的保険であり、公助と言って良い。また、「救貧的・選別的に対応」に社会福祉を入れるのは、時代錯誤も甚だしい。

 社会福祉は障害者福祉、児童福祉、介護等を含むが、選別主義から普遍主義的に改善されてきた。厚労省の新自由主義イデオロギー=自己責任論への屈服である。菅首相の「自助・共助・公助」は、これを前面に掲げる。

社会権の具体化を

 憲法は、27条で「勤労の権利と義務、勤労条件の基準」を規定している。勤労の義務は、勤労の権利を保障することによって果たせる。しかし、政府・財界は非正規雇用を拡大し、働いても人間らしい生活ができない=自助できない人を多く生み出した。勤労条件の基準も労基法の相次ぐ改悪で、長時間労働・過労死等を生み出している。

 28条は、「勤労者の団結権」を規定しているが、大企業労組は労資協調で、ストライキを打たないだけでなく、同じ職場で働く非正規労働者の首切り反対の取組みもしない。関西生コンのように闘う労働組合には警察・司法が企業と一体となって弾圧する。

 25条は、「生存権と国の社会的使命」を規定しているが、政府は「社会保障の持続性」論、「財政制約」論を振りかざし、年金、医療、介護、生活保護など「給付の抑制と負担の強化」を続けている。

事実で反撃しよう

 上記の事実は、菅首相自身が推進してきたものだ。首相の掲げる「自助・共助・公助」は、新自由主義イデオロギーに基づく「自己責任」論の強化である。憲法の理念に基づく「公助=社会保障」の拡充を訴えて、菅政権を追い込もう。