鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

労働争議は犯罪ではない  第233回

2025/03/19
  春になると春闘である。「春闘」の響きに大田薫(総評議長)のガラガラ声を想い起こす。工場の門や街に赤旗が立ち並んでいた。ストライキは見慣れた風景だった。 

  が、しかし、オイルショック不況の1974年の1万件をピークにして、いまは年間300件以内。門前にピケを張っての職場放棄などは70件程度。池袋・西武デパートの全日ストは2年前。珍しいこともあってか、道ゆく人の表情が和やかだった記憶がある。 

  実はわたしは、10代の終わりに75日間の解雇撤回・職場占拠闘争を経験した。閉鎖された会社の玄関のドアを破って社内に突入、自主生産を続けた。その争議中、2歳上の先輩が睡眠薬自殺で世を去った。50年代後半、中小企業での争議が頻発していた。 

  関西のコンクリートミキサー運転手などで組織されている「関西生コン支部」(全日本建設運輸連帯労組関西地区生コン支部)が、大弾圧され、威力業務妨害や強要未遂罪など、暴力団扱いされているのを知らされた。 

  2018年7月以降、延べ81人もの組合員が逮捕され、66人が起訴された。歴史的な大弾圧事件と言える。委員長が1年2カ月も勾留されるなど、信じられない弾圧だ。 

  50年代末。わたしたちの労働争議は職場占拠中でも警察官が立ち寄るなどはなかった。支援に行っていた製本所のロックアウト中、機械搬出のために機動隊が介入したことがあったが、その頃の警察は民事不介入、立ち入らない、との節度があった。むしろ、暴力団をつかったのは、三池争議のように経営者側だった。 

  この戦前の治安弾圧にもつながる、労働運動否定、労働者の権利無視は、個人加盟労組運動への無知がある。わたしが加盟していたのも個人加盟労組だった。それで、佐高信、内田雅敏、海渡雄一さんなどと、無罪を求める署名運動の呼びかけ人となった。 

  先月26日、京都地裁は恐喝、強要未遂罪などで懲役10年が求刑されていた、湯川裕司委員長と武建一前委員長にたいして無罪、とする判決を出した。ようやく、民主主義が残された、との想いだ。