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鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」
中村哲氏の思想と行動 第240回
2025/05/14
ガザの市街地に猛攻を加えている、イスラエル軍の非道をテレビで眺めながら、6年前、アフガニスタンで銃撃されて死亡した、医師の中村哲さんのことを思い起こす。
戦火によって荒れ果て、旱かんばつ魃で荒廃がすすむアフガニスタンの荒野で、難民の生活基盤をつくるために井戸を掘り、用水路を開通させた中村さんの超人的な努力は、世界に誇るべき平和活動だった。
ガザへのイスラエル・ネタニヤフ政権による野蛮な、非人道的侵攻が終息した後、その復興にどれだけの人が、どれだけ関わっていくのだろうか。
1984年、パキスタンのペシャワールに医師として赴任したあと、さらにアフガニスタンの難民救済を続けたが、中村さんは「百の診療所よりも一本の水路を」として地元の人たちを組織し、先頭に立って土木作業に取り組んだ。
ゲリラの流れ弾を受けて負傷したり、過労からの急性肝炎に感染しながらも、永年の努力の末、ついに荒野を沃よく野や に変貌させた。戦争から平和にむかう決定的な勝利だった。が、しかし、2019年12月、チームメンバーらと4輪駆動車で移動中、待ち構えていたゲリラに狙撃されて死亡した。73歳、無念の死だった。
「水を確保できればアフガンは再生する」というのが、中村さんの水路をつくる信念だった。子どもたちは泥水を掬すくって飲んでいた。「一般の、九十パーセントの素朴なアフガンの庶民は、家族が仲良く、自分の故郷で暮らせること、一緒におれること、三度のご飯に事欠かないこと、これ以上の望みをもつ人は、ごく稀ですよ」と中村さんは語っていた(『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』(岩波書店、澤地久枝さんとの対談集)。
内乱状態のアフガンで「まぐれで生き延びている」とも語っていた。日本人スタッフは皆帰国させて、残った決意だった。
「私はもう、身から出たサビで、最後までやらなきゃ無責任ですよ」とも語っている。初めの頃は、緑地化のノウハウを現地に残したあとは、日本に帰国するはずだった。が、踏みとどまっていた。
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戦火によって荒れ果て、旱かんばつ魃で荒廃がすすむアフガニスタンの荒野で、難民の生活基盤をつくるために井戸を掘り、用水路を開通させた中村さんの超人的な努力は、世界に誇るべき平和活動だった。
ガザへのイスラエル・ネタニヤフ政権による野蛮な、非人道的侵攻が終息した後、その復興にどれだけの人が、どれだけ関わっていくのだろうか。
1984年、パキスタンのペシャワールに医師として赴任したあと、さらにアフガニスタンの難民救済を続けたが、中村さんは「百の診療所よりも一本の水路を」として地元の人たちを組織し、先頭に立って土木作業に取り組んだ。
ゲリラの流れ弾を受けて負傷したり、過労からの急性肝炎に感染しながらも、永年の努力の末、ついに荒野を沃よく野や に変貌させた。戦争から平和にむかう決定的な勝利だった。が、しかし、2019年12月、チームメンバーらと4輪駆動車で移動中、待ち構えていたゲリラに狙撃されて死亡した。73歳、無念の死だった。
「水を確保できればアフガンは再生する」というのが、中村さんの水路をつくる信念だった。子どもたちは泥水を掬すくって飲んでいた。「一般の、九十パーセントの素朴なアフガンの庶民は、家族が仲良く、自分の故郷で暮らせること、一緒におれること、三度のご飯に事欠かないこと、これ以上の望みをもつ人は、ごく稀ですよ」と中村さんは語っていた(『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』(岩波書店、澤地久枝さんとの対談集)。
内乱状態のアフガンで「まぐれで生き延びている」とも語っていた。日本人スタッフは皆帰国させて、残った決意だった。
「私はもう、身から出たサビで、最後までやらなきゃ無責任ですよ」とも語っている。初めの頃は、緑地化のノウハウを現地に残したあとは、日本に帰国するはずだった。が、踏みとどまっていた。