鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

原発と辺野古 第37回

2021/01/12
 明けましておめでとうございます。

 コロナ禍はいまだ終息していないが、今年も運動の前進に少しでも役立ちたいと考えています。

 今年は衆院選挙もありますが、コロナ禍のなかで脱原発運動と沖縄辺野古の闘い、さらには狭山事件再審運動に参加します。原発は結末をどうするのか、原発マフィアも困惑しています。辺野古はピケを張り続けている人たちとの連帯の座り込みに参加します。狭山は人権闘争です。

 原発と辺野古。ともに大義はなく、あたかも泥沼に突入するかのような無惨な結末が見えています。その終わりを早めるための、再稼働と工事をさせない世論を拡げ高めたい。3月がフクシマ事故10周年。そこから「さようなら原発」運動を第二段階に進めます。

 沖縄は昨年暮れの12月20日。「コザ暴動」50年の記念日を迎えました。マスコミは「暴動」と書くのですが、沖縄闘争を支持しているわたしたちは、「暴動」「騒動」の表現を否定することが大事だと思います。

 友人の彫刻家・金城実氏は「コザ蜂起」といいます。これにならいたい。その夜、彼は大阪にいました。蜂起の報を受け、居酒屋で「シタイヒヤー!ウチナー!」(やったぞ―、オキナワー)と叫んだそうです。それがウチナーの共通の受け止めでした。

 日本政府は沖縄を本土防衛の盾にして集団自死を押しつけました。敗戦後は米軍の暴行、虐待を見てみぬフリをしていたのです。

 菅首相は官房長官時代、首相官邸に陳情に来た翁長雄志知事に対して、「わたしは戦後生まれなものですから、歴史を持ち出されたら困りますよ」と冷たくあしらいました。

 無知は無視であり、無情でした。いまでも沖縄を捨て駒としてしか考えていない。これは日本人の恥辱です。辺野古の海への暴虐は今に続く沖縄虐待です。

 アベの無恥、スガの冷酷さ。沖縄と向かいあったとき、身の置き場のない恥ずかしさを感じます。その恥ずかしさをバネに突き抜け、連帯を獲得したい。