鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

原発と人格権侵害 第48回

2021/04/06
 「被告は、東海第二原発の原子炉を運転してはならない」

 水戸地裁、前田英子裁判長の運転差し止め決定は歴史的な大英断だった。言わば天の声である。

 決定の理由は、東京まで106キロ、30キロ圏内には94万人が住む原子力災害対策重点区域で、いったん事故が発生したとき、「実現可能な避難計画及びこれを実行し得る体制が整えられるというにはほど遠い状態であり、同区域内の原告らには、人格権侵害の具体的危険がある」。

 「原発は人格権を侵害する」との判断だ。「危険性」と言うよりは、すでに膨大に侵されている事実だ。福島原発事故被災者の現状は、事故関連死3000人以上と言われるほどに悲惨だ。故郷から一挙に追い出された生活の困難と精神的ダメージは、筆舌に尽し難い。

 原発が危険なのは、スリーマイル事故、チェリノブイリ事故でも証明済みだったが、それでもなお、日本政府と原発会社は「絶対安全」と言い募り、安倍首相は大事故が発生していてさえ、「アンダーコントロール」と大見得を切った。事故が発生した時の備えが、避難計画と避難訓練だ。誰が、いつ、どこまで、どのくらい、どういう方法で逃げればいいのか。クルマでか、バスが本当に迎えにくるのか。だれもはっきり責任をもって言えない。

 一週間も、部屋に閉じこもっていられるか。電気がつくのか、水は続くのか。それを国と県が強制する。なんのために。原発が稼働するために。

 原発様がそんなにエライのか。文句も言わないでみな屈服しているが、彼らが儲けるためにだけに、周辺ばかりか、日本中が苦しんでいる。

 わたしは、「避難訓練つき原発稼働は、人間への侮辱」と言ってきた。前田英子裁判長は、このおかしな世界に批判的だったんだ。人間が技術に従属して避難訓練をやるなど、こんな人間の尊厳を冒すことはない。

 「避難計画が実行不可能なのは、人格権侵害」。明確な原発にトドメを射す言葉だ。わたしは、人間に避難訓練を強制する原発を憎んでいる。