鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

アスベスト死 第56回

2021/06/01
 生きるために働き、病を得て死ぬ不合理。それが現代社会の矛盾である。「カネと命の交換会社」。日本鋼管(いまはJFE)の労働者たちの自嘲だった。いまでもそのまま過酷な労働にたいする批判に通じる。

 アスベスト(石綿)の被害者の訴えで最高裁は5月17日国と建材メーカーの賠償責任を認めた。

 WHO(世界保健機関)が、アスベストの発がん性を指摘したのが72年、日本政府は75年には、吹き付け作業を禁じた。が、使用を原則禁止したのは04年だったから、いかにも遅い。欧州では80年代に発ガンの虞(おそれ)がある、として使用を制限していた。

 75年からみても、日本政府が29年間も規制しなかったのは、「著しく合理性を欠く」と、最高裁小法廷は断罪した。

 海の水俣病、川のイタイイタイ病、鉱山のじん肺、そして建設現場の肺がんや中皮腫。すべて効率第一主義、安上がり生産の結果だった。その意味では、原発政策に通底する人命無視の犠牲である。

 原発が事故を起したら、自分で避難せよ。それが稼働の条件である。

 アスベスト裁判の原告は、1250人。被害者総数は9千人以上。健康被害があらわれるまで15年から50年かかる、といわれている。これから年に500人規模で犠牲者があらわれる見通しだ。

 被害者は建設現場や吹きつけ作業、解体作業などに従事した労働者ばかりではない。一般市民にも死者があらわれている。

 全国労働安全衛生センター連絡会の月刊誌『安全センター情報』は、79年から発行されている会報だが、労働災害、とりわけ、アスベストの被害について報道し続けてきた。その3月号に、大阪の近鉄高架下商店街での被害報告が掲載されている。

 04年に文具店の店主が、建物内の吹きつけアスベストから発生・飛散する粉塵を長年浴び続け、胸膜中皮腫で死亡した。その11年後、喫茶店店主が同病で死亡。さらに4年後の19年、うどん店の店長に同病の発病が認められた。

 安くて便利。非人間的な物質の生産と消費を認めてきた、政府の罪は大きい。