鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

非人道国家なのか 第67回

2021/08/24
 名古屋の出入国在留管理局(以下、入管)の施設に収容されていた、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が、施設内で死亡した事件ほど、日本政府の閉鎖性を示す事例はない。

 日本に憧れ、日本語を学んで、国に帰って日本語教室をひらきたい、との夢を抱いて、日本にやってきた。

 が、語学学校を中退することになって、在留資格が切れ、収容所に収容された。そこで体調が悪化したことを訴えていたのだが、入管の職員は詐病と疑い、仮放免されないまま死亡した。

 事件から5カ月たった8月中旬になって、入管庁は「最終調査報告書」を発表した。しかし、死にいたるまで、なぜ仮釈放しなかったのか、死因は何か、などをあきらかにすることなく、「最終」と銘打って幕引きを図っている。

 ひとつの命がなくなったのに、職員の処分は、入管局長と次長が訓告、幹部ふたりが、厳重処分で終った。

 外国人の収容者にたいする入管の処遇は、これまでも多くの批判にさらされてきた。いくつかの事件が報道された。7年前、茨城県牛久の管理センターで死亡したカメルーン人は、「死にそうだ」と訴えても、救急輸送されることもなく息を引き取った。

 2007年以降だけでも、入管施設で亡くなった外国人は17人、そのうちの5人が自殺だった。抗議のハンガーストライキで死亡したナイジェリア人もいる。

 NHK記者の取材によれば、ウィシュマ・サンダマリさんを診察した精神科医は、「仮釈放してあげれば、良くなることが期待できる。患者のためを思えば、それが一番良いのだろうが、どうしたものであろうか」と書きつけていた。

 事情が明らかになるにつれて、日本政府が貧しい外国人にたいして、冷たすぎる態度を知らされる。命からがら亡命してきても、難民として保護するのは2%もない。

 そんな冷酷な国の住民であることが、はずかしい。けっして平和国家と言えるようなものではないのは、わたしたちの罪でもある。