鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

ミナマタの教訓(下)第75回

2021/10/27
 1960年代は「高度成長の時代」といわれている。が、 実際は「公害の時代」だった。日本列島は「公害列島」となり、全国的に公害被害が噴出していた。

 64年からはじまった「新産業都市」と呼ばれた拠点開発方式は、生産性を最優先、公害対策は無視され「辛酸都市」となった。倉敷(岡山)、八戸(青森)などの公害は、よく知られている。

 それ以前からの水俣病(水俣市、新潟県 ・阿賀野川)、イタイイタイ病(富山・神通川)、四日市ぜんそくなどの四大公害やカネミ油症は、膨大な被害者を発生させた。 

 とりわけ、不知火海の水俣病は、猫が苦悶の末、躍り上がって海に飛び込んだり、幼女に脳症の被害があらわれたりしながら、チッソは平然とメチル水銀を垂れ流し続け、ようやく68年に「公害病」として認定された。

 これまでの認定患者は2283人、症状のある被害者は7万人、認定を求めているひとたちが1400人、損害賠償の訴訟中が1700人を数えている。被害者にたいするチッソの対応と一人一人の苦痛と家族の苦悩を思えば、加害を許してしまったわたしたちの無関心も裁かれるべきだ。

  「大きな者が小さな者を押し潰し、何喰わぬ顔で騙し続けて、世の片隅で不自由な体で細々と生きる私らから、たとえ一円でも税金を取り、その税金を鼻歌まじりで使いながら、殺人者の立場ということすらいまだにわからず、我々の最後のあがきである神聖な裁判の中でもふてぶてしく嘲笑い、聞く耳持たぬ行政、役人根性。こんな国どこにあるか。

 企業と行政がくっつき、これこそ今の自民党政権の生き方なのだ。

 今日あって明日は亡き身の悲しさに
 怒り心頭わが身の不自由
(岩本夏義「水俣病を思ひ」1980年代後半に書かれた手記)。

  両親、本人夫妻、妻の両親、従兄弟たち、故郷獅子島湯ノ口の漁業者のほとんどが水俣病になり、認定された。この深刻さはヒロシマの悲劇を想起させる。そして、これからの原発被曝者の苦しみを予想させる。

 これ以上の苦しみを防ぐ運動を!