鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

運動と遊びの精神 第76回

2021/11/03
 コロナ禍のせいで、大きな集会や大規模なデモを実施できなかった。この間、自公がさらに結託して悪政恣(ほしいまま)、歯止めをかけられなかった。 リモート会議やリモート集会などに封じ込められ、大衆運動の熱気を示すことができなかったのが残念だ。 

 集会とデモは、たがいの想いとその熱とを重ねあわせ、つぎの行動へのエネルギーを充電する行為。非暴力直接行動だが、小規模でしかできなかったのだった。 

 さらにいえば、首都の東京都は道路交通法や都条例などで、デモにたいする規制が厳しく、警察は横四列、前後を小集団に分断して、デモをコマ切れにしてちいさく見せている(地域によってはさらに厳しい)。 

 政府や都の、集会やデモの規制は許せない横暴だが、その一方で、堅苦しく、パターン化した集会やデモのつくりを大胆に変え、若い人たちも入れる形にすることが問われている。 

 永田町の経産省前テント広場や首相官邸前行動などの脱原発集会に、おむすびのような笑顔であらわれる、小柄な豆タンク、元気溢れる乱鬼龍さん(70歳)は、自称「笑撃の川柳作家」だ。 

 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」  

 戦争の悲惨を五七五に刻んだ鶴つる彬あきらの名句はよく知られている。このように川柳は発想を転換させ、硬直しがちな運動を揉みほぐす。

 「原発推進あとは野となれ山となれ」 作者の乱鬼龍さんは、川柳を武器に運動にユーモアを、とテント広場集会で句会をひらいている。

 総選挙の前に彼は、「洗剤一遇の大チャンス」と書いたマンガ入りの「世直し石鹸」を配って歩いた。「なめんな飴」というのもある。自公政治への怒りの表現だ。自費で洗剤や飴を購入して、友人の漫画家に風刺絵を書いてもらった小袋に入れて配った。 

 腐敗政治に歌で抵抗した、明治、大正期の添そえ田だ唖あ蝉ぜん坊ぼうの仕事が思い出される。 

 あゝわからないわからない/遊んでてお金のふえる人/かせいでもかせいでも食えぬ人/何がなんだかわからない。 

 運動に遊びの精神を注入する、柔軟な精神が必要だ。