鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

トヨタの意識改革(下) 第78回

2021/11/17
 2010年1月、豊田市の雑木林で首つり自殺をした40歳。トヨタ自動車社員の労災認定は、今年9月になって、ようやく名古屋高裁によって認められた。 

 自殺から11年、それも高裁まで行かなければ認められない、とは、この国が労働者のいのちにたいしていかに鈍感か、をしめしてあまりある。トヨタ王国にある豊田労働基準監督署や名古屋地裁が、「王者」に忖度して労災を認めなかった。 

 11年がすぎてからの判決は「社会通念に照らし、許容される範囲を超える精神的攻撃」と上司の叱責を批判している。しかし、揚げ足をとるわけではないが、死に至るまでのパワハラは酷すぎるが、「社会通念上、許容される範囲内」の「精神的攻撃」なら認められるのであろうか。 

 精神的攻撃への耐性が強いひとはいるかもしれないが、ふつうは弱い。この場合は上司ふたり、ほかにもべつの上司が大声で叱責していたという。どれほどの精神的圧迫だったろうか。 

 被害者の男性は新型プリウスの部品ライン立ち上げの業務ばかりか、中国関連業務なども与えられていた。トヨタは労働密度ばかりか、精神的緊張も秒単位だったのだ。 

 判決のあとのトヨタのコメントは、前号に書いた販売店のパワハラ自殺判決とおなじ「社員が安心して働ける風通しの良い職場風土づくりを目指す」というものだった。それでは、風通しの悪さはなにに原因するのか。 

 かつてここで働いた経験から言えば、ものづくりのすべてのプロセスが、コスト削減だけが最優先にされ、人間の喜びなどの感情をそぎ取っているからだ。人間性無視の利潤追及システムは、人を殺す。 

 14年前、名古屋地裁で、トヨタの過労死裁判を傍聴した。このときは労基署の労災不認定処分は、5年間の裁判闘争のすえに撤回された。内野健一さんは、月に155時間はたらいていて、朝方、堤工場内で急死した。 

 彼の口癖は「たまにはライトをつけて帰りたい」だった。深夜に帰れる勤務だったが、太陽が昇ってからでないと帰れなかった。