鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

日本の「犠牲区域」、沖縄 第82回

2021/12/15
 沖縄・辺野古。キャンプ・シュワブ、ゲート前の座り込みは11月末で、2700日を越えた。「新基地建設断念まで」が、座り込んでいるひとたちの共通の思いである。そこには、米軍新基地は絶対できない、つくらせないとの確信がある。 

  ジュゴンの海・大浦湾に投入する土砂をはこぶ、陸続と列を連ねてくるダンプカーの運転手にむけて「美(ちゅ)ら海を基地にしてたまるか」「もうこれ以上海を破壊しないで下さい」などのプラカードが差しむけられ、抗議の声があがる。 

  この場にいるとき、沖縄の海を殺す仕事の一端を担わされている運転手と、それに抗議する市民とが、おなじウチナーンチュ同士(本土から来ている運転手もいるだろうが)であることに、わたしはいつも胸が痛い想いをさせられる。この対立を強制しているのが、日本政府だ。 

  コロナ禍があって、実はもう2年ほど基地ゲート前にはいっていない。それでも、辛うじて辺野古の様子を知ることができるのは、この海でカヌーに乗り、工事船にむけて身体を張って抗議しつづけている作家、目取真俊(めどるま・しゅん)のブログ「海鳴りの島から」や沖縄に移り住んで活動している北上田毅「チョイさんの沖縄日記」だ。

  辺野古の海上基地建設計画から、森を潰した東村・高江のオスプレイパッド建設を経て、いま大浦湾での大破壊に至るまで、文字通り、最前線で、毎日、身を挺して闘う目取真俊は、日本文壇の枠を超えたもっとも先進的な作家である。 

  沖縄の歴史と風土の中で生まれた目取真文学は国際的に評価されることになろう。彼は、安倍や菅や岸田の「辺野古が唯一の解決策」を批判してこう書く。 

 「米軍基地を押し付けるのは『沖縄が唯一の解決策』といっているのに等しい。沖縄差別を公然と続ける日本政府とそれを支える大多数の日本人。その姿の醜さよ」(『ヤンバルの深き森と海より』)。 

 玉城デニー知事は11月下旬、辺野古新基地建設を阻止すべく、「国の設計変更は認めない」との決定を下した。憤死した翁長前知事の遺恨を受けてであろう