鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

裏切られた少女のねがい  第102回

2022/06/01
  テレビ朝日の名物番組「朝まで生テレビ」は、今年35周年を迎えたそうだ。 これまで420回放送されたが、沖縄をテーマにしたのは5回だけ、という。この事実を掘り起こした朝日新聞の記者の問題意識は貴重だ(同紙5月18日)。 

  この番組の名物司会者・田原総一朗さんは、その理由を「残念ながら沖縄の基地問題は視聴率がこないから」と言って退けている。それでも、朝日の沖縄支局に駐在していたTBSのニュースキャスター・筑紫哲也や、その後継者・金平茂紀は、もっと頻繁に沖縄の番組をつくってきたであろう。 

  「視聴率がこない」。つまり「視聴者の食いつきが悪い」ということだが、それがマスコミと沖縄との関係をよく示している。沖縄はニュース・バリューと視聴率の間の暗闇に落されてきた。 

  5月15日、沖縄復帰50年。この50年に一回の大イベント。それなりに報道された。が、本号がでるころはどうなっているのだろうか。 

  沖縄のひとたちにとって、本土復帰は、「憲法9条への復帰」と期待されていた。「核抜き、本土並み」。それが平和な生活への悲願だった。が、実際は復帰から50年経って、全国の米軍専用施設面積に占める沖縄の割合は、現在だった。70%。復帰時は59%だから11%もふえたのだ。 

  まして、いまや問答無用とばかり、県知事が率先反対し、県民の70%が反対している、辺野古米軍新基地建設のために、「マヨネーズ状」といわれる90メートルの海底にむけて、政府は膨大な岩石を、あたかも賽さいの河原に石を積むように、毎日、ムダに投入し続けている。 

  しかし、その過酷な現実は、復帰50年の「記念日」にむけた報道の一例として、辛うじて報道されただけなのだ。 

  「復帰で 沖縄はほんとに すくわれるのだろうか 沖縄には 日本復帰で 平和になりたいという 強い強いねがいがある」  

  1972年5月15日、朝日新聞に掲載された、小学校5年の少女の詩「私のねがい」の一部である。そのねがいは、みごとなまでに裏切られた。