鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

民主主義の「国葬」  第110回

2022/08/03
  7月22日、岸田内閣は安倍晋三元首相の「国葬」を閣議決定した。 

  安倍内閣の末期は支持率30%台だった。有権者の三割しか支持されていなかった人物が、どうして国葬なのか。 

  国税を大量に投入するイベント強行で、党内政治を安定させようとする、政治利用が露骨に見える。 

  国葬って国がお仕舞いっていうことか  

  石川進 「朝日新聞」川柳欄に掲載された一首。 
  
  疑惑あった人が国葬そんな国 吉原鐵志 

  サイテー、と叫ぶ声が聞こえる。死去して6日後の決定だった。参院選挙での勝利(安倍殺害への同情票もあった)、衆参両院で自民党が絶対多数を占めたことへの御祝儀というべきか。 

  というよりは、 岸田首相の党内政治安定のため、最大派閥である「清和会」へのゴマスリ決定であろう。 

  国会でのウソ答弁百数十八回、森友、加計、サクラ、サントリー。身内優遇の三代目政治家に、全国民も弔意を示せ。強権・亡国の政治だ。 

  死者を鞭打つなかれという。しかし、勝手に、自民党だけの独断で、議会にも諮ることなく、9月27日、日本武道館で挙行、と決められた。これは暴挙というべきで、すでに反対運動がはじまった。これから拡大しよう。 

  会場は、戦犯を合祀(ごうし)し、安倍氏が首相当時、参拝を決行した「靖国神社」のすぐそばだ。 

  わたしは東京新聞のコラムに「悲しみの総動員体制は、靖国神社を思わせる」と書いた。 

  「死者に対する批判がようやく鎮まろうとするとき、寝た子を起こすような、仰々しい行事への強制は、逆効果でしょう」(7月19日付) 

  まして、全額国費の投入。アベ身内政治は「笑いの種」だった。それにもまさるおべっか政治だ。

  「国葬」は葬儀への総動員だ。嫌だ、という者は非国民化か。宗教的行事の強制として、憲法19条(思想の自由)、20条(信教の自由)に違反するはずだ。 

  安倍の死を改憲に使う、岸田内閣の政治利用は、民主主義の破壊行為だ。