↓メインコンテンツへジャンプ
平和・
人権
・
正義
・
環境
menu
CLOSE×
TOP
TOPICS
週刊新社会
今週の新社会
道しるべ
イチオシ
鎌田慧コラム
橋本勝ギャラリー
バックナンバー紹介
こんにちは新社会党です
新社会党とは
新社会党とは
入党のご案内
カンパのお願い
アクセス
綱領
中期方針
委員長プロフィール
ごあいさつ
役員
都道府県本部
議員紹介
選挙
出版物紹介
HISTORY
各種お申し込み
お問い合わせ
旧サイト
トップ
<
週刊新社会
<
鎌田慧コラム一覧
< 鎌田慧コラム
鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」
「偽満州」国家の罪業(上) 第224回
2025/01/15
今年は敗戦後80年。軍拡論者の石破茂首相の率いる内閣が、8月15日の敗戦の日を静かに迎えているかどうか、それはまだわからない。
が、日本が謀略で建国した「満州」の建国と破滅が、戦後の日本を形成したことを、最近、自分なりによく考えるようになった。いまさらなんだ、と思われるかもしれないが、世界の大国に伍して、侵略国家として成り上がった、加害責任の総括は、まだまだ足りないように思う。
かつて首都を置いた「新京」(長春)にあった旧「満映」(満州映画協会)を見学したことがある。「長春」という優雅な地名を「新京」という思い上がった名前に変えた横暴が恥ずかしい。理事長は甘粕正彦だった。彼は敗戦の報せを受けて服毒・自裁した。
「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」
これが彼の辞世の句だが「大ばくち」とは、大杉栄と伊藤野枝、甥の宗一の3人を皇居前にあった東京憲兵隊本部に連れこんで殺害した、との罪を一身に引き受けて生き抜いた(真犯人かどうか)ことを指すのか、それとも映画会社の社長とは表向きの身分で、大川周明、東條英機のバックアップを受け、板垣征四郎、石原莞爾参謀などと謀略の数々に関わっていたことを指すのか、はわからない。
しかし、満州建国こそ日本の「大博打」だったことにまちがいはない。
長春の博物館で女性の担当者が、地図を示しながら、「偽満州」「偽満州」と短く、吐き捨てるようにいうのを耳にして、糾弾されるような、身を縮める思いだった。公園の片隅に立ったとき、一緒に行った年配の女性が、ここに息子の遺体を埋めた、と泣き出した記憶もある。
昨年暮れの「東京新聞」(12月24日)が「シベリア遺児」とのタイトルで、女優・松島トモ子さんの記事を掲載した。父親が三井物産の「奉天」( 現・瀋陽)支社の社員だったが、敗戦の3カ月前に出征、シベリアに抑留されて死亡した。
生後1カ月、それから母親との逃避行が始まった。無謀な侵略だった。(続く)
※アイコンクリックでデータをご覧ください。
データ1
データ2
データ3
データ4
データ5
データ6
週刊新社会
今週の新社会
道しるべ
イチオシ
鎌田慧コラム
橋本勝ギャラリー
バックナンバー紹介
こんにちは新社会党です
購読のお申し込み
見本誌のお申し込み
全国の新社会党
北海道・東北
関東
北陸信越・東海
近畿
中国・四国
九州
中央本部
入党のご案内
カンパのお願い
新社会党のマークは
鳩は「平和」
赤は「人権」
青は「正義」
緑は「環境」
を意味しています
▲
page top
が、日本が謀略で建国した「満州」の建国と破滅が、戦後の日本を形成したことを、最近、自分なりによく考えるようになった。いまさらなんだ、と思われるかもしれないが、世界の大国に伍して、侵略国家として成り上がった、加害責任の総括は、まだまだ足りないように思う。
かつて首都を置いた「新京」(長春)にあった旧「満映」(満州映画協会)を見学したことがある。「長春」という優雅な地名を「新京」という思い上がった名前に変えた横暴が恥ずかしい。理事長は甘粕正彦だった。彼は敗戦の報せを受けて服毒・自裁した。
「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」
これが彼の辞世の句だが「大ばくち」とは、大杉栄と伊藤野枝、甥の宗一の3人を皇居前にあった東京憲兵隊本部に連れこんで殺害した、との罪を一身に引き受けて生き抜いた(真犯人かどうか)ことを指すのか、それとも映画会社の社長とは表向きの身分で、大川周明、東條英機のバックアップを受け、板垣征四郎、石原莞爾参謀などと謀略の数々に関わっていたことを指すのか、はわからない。
しかし、満州建国こそ日本の「大博打」だったことにまちがいはない。
長春の博物館で女性の担当者が、地図を示しながら、「偽満州」「偽満州」と短く、吐き捨てるようにいうのを耳にして、糾弾されるような、身を縮める思いだった。公園の片隅に立ったとき、一緒に行った年配の女性が、ここに息子の遺体を埋めた、と泣き出した記憶もある。
昨年暮れの「東京新聞」(12月24日)が「シベリア遺児」とのタイトルで、女優・松島トモ子さんの記事を掲載した。父親が三井物産の「奉天」( 現・瀋陽)支社の社員だったが、敗戦の3カ月前に出征、シベリアに抑留されて死亡した。
生後1カ月、それから母親との逃避行が始まった。無謀な侵略だった。(続く)