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鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」
「偽満州」国家の罪業(下) 第226回
2025/01/29
藤原作弥の『満州、少国民の戦記』(総集編) は、旧「満州」で少年期を送っていた著者が、敗戦を迎え、生活していた国境の街・安東市をたった1日だけ早く脱出したため虐殺にも遭わず、残留孤児にもならず、無事、日本に帰れた幸運の記録である。
それでいて、描写が少年の目のように明るく澄んでいるのは、楽天的な性格によるようで、視野が広いのは、長年、新聞記者として活躍していた鍛錬を思わせる。楽天的と言えば、後年、日銀副総裁まで引き受けるのだから、度が外れている。
敗戦直後、日本人会はいち早く遁走した関東軍の後ろ盾を失って、ソ連軍と中国(国民党と中国共産党八路軍系)、さらにはダブルスパイの存在などで、残留者たちは、孤立感から、疑心暗鬼に苛まされていた。
混乱の渦中から脱出した浩瀚な記録なのだが、たまたま、運よく、自身が遭遇することがなかった「葛根廟事件」では、千二百人の民間人のうち、千名以上が無抵抗のまま、追撃してきたソ連の戦車団の機銃掃射を受けて死亡した。著者の通っていた国民学校では校長以下、職員・生徒二百人が殺害された。
「麻山事件」では、やはり開拓民千三百人がソ連軍機械化部隊に追い詰められ、四百人が集団自決している。開拓団の悲劇では、東京「荏原開拓団」の半数、四百人が「匪賊」に殺害された。
「五族協和・王道楽土」と謳われた満州開拓は、日本の加害から出発したとはいえ、日本人にとっての悲惨な結末となった。朝鮮半島の支配、南太平洋での戦闘なども、現地の人たちの重大な悲劇を生み出した。
葛根廟事件で「同窓生の3分の2が虐殺された」という著者は、日本でのボランティア活動中、一時帰国した1人の残留孤児に出会った。彼女はその事件の生き残りだった。そのまま日本に帰るか、中国東北部に帰るか悩んでいた。結局、彼女は養父母のところにもどった。
「この国は私の祖国かもしれないけれども私の住む場所ではないと悟った」といったという。その言葉の前に首を垂れるしかない。
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それでいて、描写が少年の目のように明るく澄んでいるのは、楽天的な性格によるようで、視野が広いのは、長年、新聞記者として活躍していた鍛錬を思わせる。楽天的と言えば、後年、日銀副総裁まで引き受けるのだから、度が外れている。
敗戦直後、日本人会はいち早く遁走した関東軍の後ろ盾を失って、ソ連軍と中国(国民党と中国共産党八路軍系)、さらにはダブルスパイの存在などで、残留者たちは、孤立感から、疑心暗鬼に苛まされていた。
混乱の渦中から脱出した浩瀚な記録なのだが、たまたま、運よく、自身が遭遇することがなかった「葛根廟事件」では、千二百人の民間人のうち、千名以上が無抵抗のまま、追撃してきたソ連の戦車団の機銃掃射を受けて死亡した。著者の通っていた国民学校では校長以下、職員・生徒二百人が殺害された。
「麻山事件」では、やはり開拓民千三百人がソ連軍機械化部隊に追い詰められ、四百人が集団自決している。開拓団の悲劇では、東京「荏原開拓団」の半数、四百人が「匪賊」に殺害された。
「五族協和・王道楽土」と謳われた満州開拓は、日本の加害から出発したとはいえ、日本人にとっての悲惨な結末となった。朝鮮半島の支配、南太平洋での戦闘なども、現地の人たちの重大な悲劇を生み出した。
葛根廟事件で「同窓生の3分の2が虐殺された」という著者は、日本でのボランティア活動中、一時帰国した1人の残留孤児に出会った。彼女はその事件の生き残りだった。そのまま日本に帰るか、中国東北部に帰るか悩んでいた。結局、彼女は養父母のところにもどった。
「この国は私の祖国かもしれないけれども私の住む場所ではないと悟った」といったという。その言葉の前に首を垂れるしかない。