鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

「石川さんを見殺し」  第236回

2025/04/09
  「石川さんを見殺し 徳島市で講演 司法を非難」とは、「徳島新聞」3月30日の社会面上段の記事である。同紙はこれまでも、狭山事件についての記事をたびたび大きなスペースで報道してきた。 

  「見殺し」との表現は、実はわたし徳島で講演した言葉の引用だが、「司法を非難」として県紙がそのまま報道したのは新鮮な驚きだった。 

  「12日に妻早智子さん(徳島市出身)から電話で石川さんの死を知らされ『殴られたような打撃を受けた』という。亡くなった11日は、一審浦和地裁が1964年に死刑を言い渡した日で『本当に殺されたみたいだ』と述べた」 

  一般紙は「客観報道」を旨としていて、得てして歯に衣を着せたような表現をしがちなのだが、ここでは明確に冤罪性を主張し、それも感情を込めた表現を支持しているのは、記者の精神を表している。文中にあるように、妻の早智子さんが徳島出身であることも大きな要因だが、冤罪者の妻の出身地の新聞が、その冤罪事件を熱心に報道する例はあまりない。 

  徳島の冤罪事件として、「徳島ラジオ商殺人事件」が有名だ。1953年、内縁の妻の富士茂子さんが犯人とされた事件だったが、26年後、6回目の再審請求が認められたたが、死後決定だった。徳島出身の瀬戸内寂聴さんが支援していた。 

  「死後再審で無罪になった徳島ラジオ商事件に触れ『徳島は冤罪事件解決の先進地。さっちゃん(早智子さん)が引き継ぐ再審請求を応援してほしい』と求めた」。「新社会党県本部の結党30周年を記念する講演会で登壇した」と報道された。 

  妻の早智子さんは徳島の部落解放運動の活動家だった。徳島新聞は部落解放運動にも熱心な新聞である。彼女は狭山事件の支援運動で狭山市を訪問、石川さんと知り合った。 

  31年半にわたる無実拘禁のあと徳島を訪問。市内の「月見が浜」で泳いだ時の感動を語っていた。「死んだあと、散骨してくれ」と早智子さんに言っていたのは、解放後、海でのびのびと泳ぎ回った感動の言葉だ、とわたしは早智子さんと語り合っている。