今週の新社会

若い世代が前に出て

結党30年2026新春鼎談

2026/01/01
左から 水摩さん、岡﨑さん、福田さん

新社会党委員長   岡﨑 宏美さん
党都本部委員長・北区議 福田 光一さん
党都本部書記長・葛飾区議 水摩 雪絵さん

30年の節目を大事に 岡﨑
普通に働いて暮らす 福田
働けなくなった時も 水摩


 新社会党は今年3月、結党30年を迎える。結党時に衆議院議員で、現在は党委員長の岡﨑宏美さんと、40代で東京都本部委員長の福田光一・北区議と、同じく書記長の水摩雪絵・葛飾区議に、新社会党のこれまでの歩みや果たしてきた役割、これからの展望などについて語り合ってもらった。 

■岡﨑宏美委員長 
 今年30周年を迎える新社会党の結党大会は、1996年3月3日。 私はその時、44歳で衆議院議員2期目でした。自民党は93年の総選挙で過半数割れになり、自民党を離れた小沢一郎さんなどの新生党も加わって、非自民・非共産8党派による細川護熙連立政権が誕生するのです。

国会議員は5人 

  問題は、日本社会党が小選挙区制反対の旗を降ろして連立政権に加わろうとしたことです。金権政治を改めようと政治改革を始めたのですが、問題は、政権が金権腐敗にまみれたら政権交代できるようにと選挙制度改革にすり替えられ、結局今もって政治資金問題は棚上げされています。 

  あの頃、「こんなこと(小選挙区制)を通して小さい声が通らなくなったら、きっと憲法改正が俎上に上るよ、通ってしまう時代が来るから小選挙区はだめだ」と一生懸命私は言ったんだけど、94年に通ってしまいました。 

  その時、「いくら与党だからといっても、これだけはだめだ」と反対した衆参議員のうちの5名が新社会党結成に関わりました。 

  当時、総評はすでになく、戦後の左派労働運動を担ってきた単産も、「小選挙区制を飲め、賛成しろ」と迫ってきた時代で、それでもだめだと言った私たちは最初からいばらの道になりました。 

  確かに私たち新社会党の活動する条件は今も相変わらず厳しいけれど、もし私たちがいなければ誰がこういうものを言えるんだろうと、やっぱり頑張ってきてよかったなと思っています。

人とつながって 
 
当時、お2人はいくつだった? 

■福田光一さん 高校生です。 

■水摩雪絵さん 小学5年、10歳でした。

■岡﨑 やっぱり人間の活動が党活動だなというのを見て、つくづく思うんですよね。いろいろもがきながらでも活動して呼びかけていると、考えてくれる人が出てくる。そう思って2人を見ると、私たちの活動はへこたれないんじゃないかなと思って、30年という節目を大事にしようと思っています。 

■福田 父親の後を継いで区議をやっていますが、北区議会ではずっと1人会派でやってきて4期目です。でも、1人だからといっても別に発言が制限されるわけじゃない。

  僕は高校卒業してからフリーターやっているんですよ。その後に大学に入って就職したけど、すぐやめちゃって派遣で働いた。いろんな働く人を見てきて、将来に展望が見えないっていう人がグチ言い合ったりするんですけども、そういう社会っておかしいよね。なんで一生懸命働いているのに将来の展望が見えないんだって。 

  普通に働けば普通に暮らせる、そんな社会を作りたいなと思って頑張っています。 

■水摩 私も両親が新社会党員で、両親が葛飾区内の選挙をやったり、動き回っているのは子どもの時から見てきました。 

  介護職を10年やって、問題があったのでユニオンに入って解決した時、議員に出てみないかと誘われて今があります。 

  先日(昨年11月)の区議選で4期目になりました。自分の活動の原点は介護職で働いていた時、いつも人手不足で賃金も低いし、病気とか動けなくなったら生活できないなっていうのをずっと感じながら働いていたということがあって、安心して生活ができる賃金とか労働環境を作られることとか、働けなくなった時にも人間らしい生活ができる社会保障とか、そういった行政を求めたいなっていうのが一番です。 

  これまでその時その時を精一杯できることで、人とつながりながら歩んできたなって私は思っています。

私は1人でない 

■岡﨑 私は、親から「お金のために黒いものを白いと言わされるぐらい不幸はない。だから、あんたは何があっても自分1人ぐらいは食べていけると言えるようになれ」と言われて育った。 

  定年までいられると思って公務員になったんだけど、賃金もすごい男女差があるというのに気がついた。でも、みんな労働組合不信。私の活動はそこから始まりました。 

  衆院選に出るときも職場をやめなくてはならないし、連合の推薦を得られない候補者は公認できないと、当時の社会党から言われたけど、公認されずに出たら、その時に職場の先輩や仲間らがみんな応援に来てくれてね。 

  あの時の何とも言えない、「私は1人ではない」と思ったことがあるから、ここまで来てるんやと思います。 

  それと共働きしていても家のことは全部女の人の負担。働ける環境を団交でつくっても、法律つくって制度化しなくては簡単にはぎとられるし、逆にやってほしくない派遣法などができて、どんどん働き方が悪くなってしまう。 

  だから私らのこれからの活動って、やっぱり一緒に考える人をつくってほしいなと私はずっと思っている。 

  世の中が平和でやっていくためには、儲けるための踏み台にされてしまっている人をこんなにいっぱいつくっていいはずがないと言える党でずっとやってほしいなと思います。

話を聞き考えて 

■福田 僕は団地育ちで、大きくなるとみんな団地を離れてしまうので、同年代の友達がなかなかいない。けれど、小学校のPTA活動で昔の同級生と会ったり、同年代くらいのPTAの役員とか、そういうつながりの中で話を聞いたり、一緒に考えたりしていけたらと思っています。

  正規の人間と同じような仕事をしているのに、ただ非正規や外部委託だからと、とても低い賃金で働いているのはおかしい。また、お金はどこかに貯めておいてもだめ。賃上げなどで使って経済を回さなくては。 

■水摩 なんか象徴的じゃないですか、介護現場とか福祉の現場って。社会にとって絶対に必要な職場で働く人たちなんだけど、低賃金に抑えられているっていうのが。 

  保険制度で公定価格は上がらないから、賃金が低くて人手不足で職場がきつい。介護分野で働いている人たちが声を上げるっていうのも、本当にまだまだです。 

  私は2年ぐらいずっと月1回おしゃべり会をやっていますが、選挙もあってやれなかったら、「今度はいつやるんですか」って電話が来ました。楽しみにしてくれているんだとうれしかった。 

■福田 僕は朝の駅で宣伝をやっていて、以前は毎週朝4回、別の駅でやっていました。最近は2週に1回に減らしたのですが、PTAなんかで、「駅でやっているのを見るよ。頑張ってるね」って声をかけられます。 

  見る人は見ていてくれるんだなと思います。継続は力だと本当に思います。

女性4人共同で 

■岡﨑 戦争というのは、政府が対外的な問題で発言したり、動いたりすることに同調して、「そうだそうだ」と言う人をたくさんつくって始まるわけだから、そういう人をたくさんつくってはいけないと思っています。 

  そうしたことも含めて、国の予算もどこに大盤振舞いして、どこが削られるのか、財源はどうなのかと、しっかり伝えていかなくてはいけないと思っています。 

  私たちは国会に議席がないけれど、社民党さんや共産党さんたちと信頼や共闘できる基盤を作ってきた。先月26日には都内で3党の党首・委員長、そしてやはり女性の「沖縄の風」の幹事長と初めて女性4人の共同街宣をやりました。 

  これからは意識して福田さんや水摩さんの世代が、もうちょっと前へ出てきてもらいたいと思っています。