鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

スパイとは誰のことか  第271回

2026/01/14
  最近になって、ときどき思い出すのは、母親がわたしをおとなしくさせようとする時、「憲兵が来るよ」と小声で囁いたことだ。なぜ「憲兵」だったのだろうか。それで、泣き止んだのだろうか。 

  思い当たるのは、農家を継いだ叔父が戦後、「社会党員」だったようだが、「憲兵が来るよ」の脅しは、わたしがまだ国民学校(小学校)に入る前の戦時中。その頃から、憲兵に狙われていたのだろうか。 

  与党の高市早苗の自民党と吉村洋文の日本維新の会は、連立政権合意書に「スパイ防止法案を速やかに成立させる」と明記している。野党の参政党や国民民主党は、すでに法案を国会に提出済みだ。新年が明けて、これから与野党合わせて、聞くも恐ろしい「スパイ防止法」が成立されようとしている。 

  スパイ罪の設置は、軍事機密の秘密防止というよりも、治安弾圧が強まる傾斜が危険だ。すでに2013年に特定秘密保護法が制定されている。これは1985年に自民党が準備していた、「スパイ防止法案」に代わるものだったから、こんどはさらに強化されたものとなる。 

  国家情報局、国家情報会議などが創設され、さらに対外情報庁、というアメリカCIAに匹敵する、スパイ活動が横行するようになる。沖縄の島々にミサイルを配置する戦争準備と合わせての情報機関の拡大が、国内の治安対策の強化を招くのは必至である。 

  幸徳秋水など12人を死刑、12人を無期懲役にした天皇暗殺計画「大逆事件」は、治安弾圧の典型だった。その後、戦時中の「横浜事件」は、ジャーナリストや学者に4人の獄死者を出した。さらに戦後のレッドパージ(赤狩り)は、官公庁、民間企業、政党、労組などから3万人以上を追放した。 

  これらは戦後社会に、思想と言論に対する弾圧の恐怖と被害者の生活困難を作りだした。今でさえ、公安警察、自衛隊の情報保全隊、公安調査庁が国民を監視している。 

  これから愛国をスローガンにした、「スパイ摘発」運動が起こりそうだ。母親の「憲兵が来るよ」の声が聞こえる。