鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

GoTo五輪の結末は 第61回

2021/07/13
 たとえば、米国60万コロナ感染死者のうち、トランプ大統領の責任は、どのくらいを占めるのだろうか。テレビで見た、マスクもつけない支持者たちが、大集会をひらいていた恐怖の映像が、いまでも生々しい。

 トランプはコロナウイルスに高を括っていた。対策に遅れを取って大量の死者を発生させたのはまちがいない。しかし、その責任が追及された、とは聞いていない。

 人のいのちに無痛覚な政治家は、政治家として失格なはずだ。なぜなら、政治とはひとの安全と安心を保証するためのものだからだ。

 菅首相が東京五輪開催について、安全・安心をお題目のように唱えているのは、感染症のパンデミック禍の最中に、オリンピック開催など、あまりにも危険だ、と本人自身が弁えていることを証明している。

 それでもなお開催を強行するのは、ひとのいのちよりも自分の権力維持を優先させているからだ。安全・安心は努力目標で、それは原発の再稼働とおなじ、お題目にすぎない。

 主催するI O C(国際オリンピック委員会) の「ぼったくり男爵」の威名で知られているトーマス・バッハ会長の「犠牲をいとわない」との発言に、菅首相、抗議の一言もないのは、五輪を利用して浮上したいがためだ。

 国民のいのちを売るのか、というのは極端に過ぎるか。

 「わが社にとって、最も利益の高い五輪になる可能性がある」というのは、米国むけ放送権を独占するNBCユニバーサル(米国のテレビネットワーク)のジョフ・シェル最高経営責任者( C EO)である。

 「開会式が始まればみんなすべてを忘れて楽しむだろう」(6月17日、共同)。

 さすがに聖火リレーは中断されているが、はじめの頃、スポンサー企業の宣伝カーが聖火を先導していたように、あたかも五輪は商魂の輪の連鎖のようなのだ。

 それは世界中からプロ選手が殺到するようになってからの風習だ。つまりは中止もなく、無観客もなく、とにかくカネまみれのゴールを目指して、目下進行中。

 菅首相、どう責任を取りますか。