鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

水俣と色川大吉さん 第70回

2021/09/21
 歴史家の色川大吉さんが亡くなった、との報せをうけて絶句した。その一週間前の内橋克人さんの訃報にも驚かされたが、色川さんには亡くなる前にお伝えしたいことがあった。

 昨年10月、色川さんは上下2冊、648ページにおよぶ浩瀚(こうかん)な『不知火海民衆史』(揺籃社)を上梓した。この書籍は色川さんが70年代の10年間、石牟礼道子さんに懇望されて、鶴見和子、市井三郎、小島麗逸さんなどと組織し、団長をつとめた学際的な集団「不知火海総合学術調査団」で、水俣に通い続けた成果の記録である。

 上巻は大学の紀要などに発表した論文、下巻は患者さんたちからの聞き書きだが、上巻が1959年の歴史的な「漁民暴動」から始まっていて、意表を突かれる想いだった。

 いかにも、自由民権運動、秩父困民党、足尾銅山と谷中村、あるいは三里塚闘争など、民衆の抵抗運動にこころを寄せてこられた色川さんらしい書である。本人自身、現代史の運動への参加者だった。

 多くの逮捕者をだした「水俣漁民暴動」の公的記録は廃棄されて、いまだ一部しか発見されていない。しかし、それでも「事件が庶民の心にきざみこんだ思想的な意味については、聞き書きの方がはるかにゆたかな内容をもつ」との主張である。

 民衆史、自分史の沃野を切り拓いた色川さんらしい。この本は自主出版だったが、でる前から、まるで若い研究者のような、出版を待望しているはずんだこころを、わたしはがきで知らされていた。

 その想いを「はじめに」に書いている。「いま、九十五歳の私がこだわるのは、四十余年経っても、あの通いつめた日々が朽ちない価値を持っていると、信じているからである」。

 民衆の怖さと優しさを感じながら、仕事を続けてこられた色川さんは、「日本自主出版文化賞」の創設者でもあった。

 今回は特別功労賞として色川さんを顕彰しよう、と中山千夏さん、成田龍一さんなどの選考委員会で決定した。それを本人に伝える直前に、色川さんは世を去ってしまった。残念! 訃報を聞いての絶句だった。