鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

朝鮮人徴兵制度の実態(下)   第91回

2022/03/02
  日本が中国に侵略したあと、美しい「長春」の地名を露骨な「新京」に言い換えた。これだけでも、侮辱だった。 

  そこにあった旧満州映画の社屋を見学していたとき、案内して下さった女性が「偽ギ瞞州」、「偽満州」と繰りかえすたびに、胸を抉られるような痛みを感じた。その言葉に中国民衆の怒り、怨念がこびりついている。縮こまるだけだった。 

  佐渡金山を世界文化遺産に登録させる、と政府が推薦をしたことで、韓国政府が批判を強めている。そのおかげで、かつての日本が朝鮮半島を侵略した事実が、クローズアップされた。 

  沖縄の翁長雄志知事が菅義偉首相(いずれも当時)に会って、沖縄の窮状を指摘したとき、菅首相は「わたしは戦後生まれですから」と撥ね除けた。カンケイない、といいたかったのであろう。 

  他国に攻め込み民衆を抑圧、虐殺した責任は戦後生まれでも意識し、謝罪しなくてはならない。 

  それが犯罪的な歴史を繰り返さないための誓いだ。この欄で紹介してきた塚崎昌之さんは、「武器を与えられなかった『兵士』たち」(「わだつみのこえ」153号)でこう書いている。 

  朝鮮人の日本への戦時労務動員における強制連行の形態は、「募集」→「官斡旋」→「徴用」の順で行われたとされてきたが、その第四段階として、新たに「徴兵・第一補充兵」を付け加えるべきである。 

  病弱者以外の日本人を根こそぎ動員する「本土決戦150万人計画」に備えて、軍用食糧確保が必至だった。 

  「満州」・朝鮮半島からの収奪、輸送、備蓄が行われたが、朝鮮人補充兵による国内での農産物生産がはじまった。「自活隊」「農耕勤務隊」などだが、さらに「野戦勤務隊」や地下施設隊が組織され、飛行機製造地下工場などに充てられた。 

  「朝鮮人軍人、軍属」を政府は24万人としている。この中に、労働力として使用された「兵士」は入らず、「戦後、日本政府が存在を消し去った」。 

  「皇民化」「内鮮一体」などの植民地化が、「大東亜戦争」勝利と同様、成功するわけはなかった。