鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

最高裁の怯懦と忖度  第107回

2022/07/13
  参院選もすんで、調子に乗った岸田内閣、公明、日本維新を従え、原発再稼働と防衛予算倍増、そして野望の9条改憲にむけて走りだす。 

  猛暑と地球温暖化、ウクライナ戦争とロシア脅威論で危機感を煽り、国会運営の横暴がさらに露骨にすすめられる。残念ながらそれらを争点化させられなかった選挙戦だった。 原発についていえば、猛暑でさらに電力不足を宣伝、原発再稼働のストーリーを強めている。6月中旬、福島事故で国を免責した最高裁判決が、内閣を元気づけそうだ。 

  「国策民営」とされてきたのが、原発政策だった。「電源三法交付金」によって、原発を誘致する自治体への道が固められてきた。原発が「打ち出の小鼓」扱いされたのは、打ち鳴らせばなんでも手にはいる、強欲の道具とされていたからだ。 

  「危険ではありませんか、原発は」と、原発建設反対運動がさかんだった頃、わたしが、誘致派の町長や村長に問うと、莞かん爾じ と笑っていった。「国が安全だと言っていますから、はい」。 

   自治体は国の権威を利用し、責任のすべてを国にあずけていた。国策に従い、判断停止、カネの後光に目をつむった。原発反対運動のリーダーで福島県議だった岩本忠夫さんは、温厚な人物だった。双葉町長となって誘致派に転向、事故のあと無念のうちに世を去った。 

   原発は多くの人をくるわせた。「国に責任はない」と断じた先月の最高裁判決は、ひとりの判事だけが責任ありとし、3人が免責にした。この3人の判事はこんご事故があった場合、またもや、予見は不可能だった、として責任を回避するのだろうか。 

   最高裁決定は下級裁判所を規制する。だから、「原発の最大限利用」を狙う岸田内閣を元気づけよう。常識に逆らって危険性を否定したこの決定は、長期政権下に生きる裁判官たちの保身の忖度だ。 

   自治体、政府、財界、企業、労組などが、原発にしがみつくのは、無惨だ。再稼働させ、めでたく廃炉になったにしても、将来、10万年もつづく核廃棄物の危険を、子孫に押しつける責任をどう考えるのか。