鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

ハンセン病と炭坑(上) 136回

2023/02/22
    両手に抱えた大型の本を、顔に密着させるように近づけ、舌で舐なめている。点字本を舌先で読み取っている男性を、すぐ横から写したクローズアップ。このハンセン病者の写真は、どこかでみた。

   原爆の図丸木美術館から送られた「地底の闇、地上の光―炭鉱、朝鮮人、ハンセン病―趙根在(チョウ・グンジェ)写真展」のチラシを眺め想いをめぐらした。

    ハンセン病によって視力を失い、点字を追う指先の知覚も奪われた。それでも読書の渇望もだしがたく、点字のかすかな凹(おう)凸(とつ)を柔らかな舌でまさぐる。障子を通して流れてくる光が、舌のシルエットをあざやかに映しだしている。

    舌は言葉をあらわす。饒舌、冗舌、毒舌、舌足らず、舌先三寸、舌の根も乾かないうちに。舌鼓(したつづみ)などは味覚の表現。しかし、舌読(ぜつどく)は人間の意欲と希望と未来を表している。

   「点訳のわが朝鮮の民族史今日も舌先のほてるまで読む」

  「ライ知らぬ後の世の人は舌読のわが写真見ていかに思わん」

    写真の主人公、金夏日( キム・ハイル)さんの短歌である。撮影したのは在日朝鮮人カメラマン・趙根在さん。「舌読」の写真は、金さんが生活していた群馬県草津町の国立療養所「栗生楽泉園」での、「ハンセン病市民学会」集会のときに目にしたのだろうか。

    このとき、反抗的な患者を収容した「重監房」も見学したのだが、たまたま、金さんと文学仲間の詩人、ハンセン病市民学会の谺こだま雄二さんが逝去され、遺骸の前でご焼香した記憶がある。あるいは、東村山市の国立ハンセン病資料館でみたのかもしれない。

    趙根在さんは記録作家・上野英信さんと『写真万葉集筑豊』(全10巻)の共同監修者である。在日少年は家貧しく中学校中退、炭坑で働きはじめた。死と隣合せの過酷な零細炭坑の坑内労働とのちのハンセン病撮影とを結ぶ線に、この執念のカメラマンがいる。

   わたしは上野さんと趙さんが、精魂こめて集録した写真集を書庫から取りだし、上野さんに案内された、自宅の炭坑長屋の裏手にある、朽ち果てた炭坑の暗い穴を思い出した。