鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

続・一人でも闘う(下)  第152回

2023/06/28
 「入管法」が改悪された。入管施設に収容されている難民の強制送還がふえそうだ。強制送還されるひとたちの本国で待っている運命に不安が強い。この国の外国人にたいする差別と酷薄な処遇は、国際的な恥である。 

  差別がいのちに関わる極端な例が、19 0 7 年( 明治40年) に制定された「癩らい予防ニ関スル件」法律第11号だった。その後「癩予防法」(1931年)となり、さらに「らい予防法」(1953年)として89年間、排除と隔離政策をつづけ、1996年になってようやく廃止された。 

  この間、公然と行われてきた「断種、堕胎、胎児標本」など、言語に絶する迫害について、わたしたちはあまりにも無知、無関心だった。

  前回、紹介した『告発 ハンセン病医療』は、ハンセン病施設「多磨全生園」で発生した、医療過誤をたった一人で追及した書籍である。 

  全生園に入所した山下ミサ子さん(仮名)の主治医は差別的で不勉強、病状が悪化する免疫抑制剤を投与しつづけ、彼を交代させてようやく命拾いをした。 

  「快活でお洒落な美人だと評判だった山下さんの容貌は変化してしまい、昔からの友人と出会っても、あまりの変貌ぶりに山下さんだと気付かず、声を聞いてはじめてわかって泣き出してしまいました。外出すれば「お化け」とののしられるのが怖くて家に閉じこもりがちになり、全身に残った重度の後遺症に苦しんでいます」(編著者・村上絢子) 

  医師にはどうせハンセン病だから、との差別感が強かったのであろう。入所者を「税金泥棒」とか「座敷豚」とかいって、公然と差別し、人間扱いしなかった。命を預かる医師としては、不穏当な人格だった。 

  入所者もまた、山下さんの提訴にたいして「国に楯突く」などとの批判が強かった。ここからは出られない、との諦念が強かったから、内部の支援運動はなかった。 

  この本は、たまたまハンセン病になっただけで、人間としての存在を否定された、元ハンセン病患者とハンセン病施設(国)との、無残な関係の貴重な記録である。