鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

原発利益の政治家たち(中) 第178回

2024/01/24
  福島事故以前から原発取材にかかわってきた、青木美希記者の原発報道への執念の結晶が、『なぜ日本は原発を止められないか』だ。 

  この地震大国・活断層密集列島の狭隘な島国に、原発や新型転換炉「ふげん」、高速増殖炉「もんじゅ」、新型転換炉、ウラン濃縮炉、核燃料再処理工場までをも林立させ、60基ほどの核施設を並び立て、核列島化させた。いったい誰の責任だったのか。 

  1953年夏、米・国務省の招待で原子力事情等を40日間も視察した中曽根康弘氏が、翌年、日本最初の原子力予算獲得を成功させた瞬間から、日本は核にむかって走り出した。中曽根氏が米国・バークレーの原爆や水爆を研究していた「ローレンス放射性研究所」をまわった年の暮れ、アイゼンハワーが「アトムズ・フォー・ピース」政策を打ち出したのは、偶然ではない。

  ピース= ビジネス。平和を先兵にした原発の売り込み。濃縮ウランのバーゲンセールだった。ウエスチングハウス(WH)、ゼネラル・エレクトリックス(GE)が、日本の原発推進を牛耳った。「反対する学者の頰っぺを札束で張った」、と中曽根が豪語した、と伝えられている。 

  佐藤栄作首相時代、すでに「核兵器製造の技術的ポテンシャルの保持」をめざしていたのは、公然たる秘密だった。祖父の岸信介や佐藤栄作を崇拝する安倍晋三も、小型原爆所持を期待していた。 

  危険を省みなかった原発大推進に、利権の絡む経団連、自民党、天下り先を狙う官僚、権力に弱い裁判官、そして御用学者、マスコミが一体化していた、いわば平時の総動員体制だった。反対する自治体の代表者は金権選挙で落選させられた。中曾根が画策した、原発建設地と隣接市町村にカネをバラまく「電源三法交付金」が、これまで陽の当らなかった過疎の村を誘惑した。 

  この本には関西電力の内藤千里副社長が、72年から18年間、歴代首相に現金を配った、との証言が引用されている。田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹中登。通産大臣を務めた自民党有力者は軒並みだった。