鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

最高裁の暗黒(上)  第190回

2024/04/17
  「まだ最高裁があるんだ」と、格子の向こうから叫ぶ。今井正監督の「真昼の暗黒」(1956年)のラストシーンは強烈だった。1951年、山口県麻郷村八海(現田布施町)で夫婦二人を殺害して金を奪った強盗殺人事件、「八海事件」の映画化だった。主犯とされた阿藤周平が高裁の死刑判決を受けて叫んだ。 

  4人の「共犯者」は広島高裁で無期懲役にされた。が、映画の主人公・阿藤周平だけが死刑判決だった。それでも、阿藤は「最高裁がある!」と絶望しない。最高裁が希望だった。実際、17年かかったが、共犯者をでっち上げた真犯人を除いた、阿藤ほか3人は最高裁で無罪判決、冤罪が晴れた。 

  袴田事件の袴田巌さんは、1966年に逮捕され、57年が経ってようやく再審がはじまった。今年の秋には無罪判決がだされる見通しだ。狭山事件の石川一雄さんは61年が経っても、いまだ再審開始になっていない。 

  これは不正義というしかない。冤罪がなかなか最高裁で認められないのは「疑わしきは罰せず」の原則が徹底されていないことが大きい。 

  しかし、原発訴訟の場合は「国策民営」と言われる国の原発政策と東京電力など巨大な電力会社と政府の関係、さらには、最高裁判事と巨大法律事務所の癒着という関係があって、国の責任追及、「法の支配」が困難だ。 

  福島原発大事故に対する国の責任を追及する賠償訴訟で、2023年6月17日、最高裁は、全面的に否定した。これまで地裁や高裁で認められてきた国の賠償を認めなかった(三浦守裁判官だけが反対意見で、3対1)。 

  最高裁には2つの顔がある。国民の権利(人権)を擁護する立場から、被害者救済において比較的柔軟な姿勢を示し、しかし、他方で憲法9条や安全保障など、国の政策にかかわる事件では、統治機構の一員としてそれらを擁護する(吉村良一「六・一七最高裁判決の問題点」『ノーモア原発公害』所収)。 

  そればかりではない。「国に責任はない」と断じた裁判官が、判決後、東京電力の代理人が所属する、巨大事務所の顧問になったのだ。