鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

最高裁の暗黒(下)  第191回

2024/04/24
  4月上旬、仙台高裁の判事が罷免されたのは、ことの当否は別にしても、たかがSNS投稿が不適切とされたからだが、そのくらい公正な人物が要求されている。 

  福島原発爆発事故にたいし、2022年6月17日に「国の責任はない」と判示した最高裁判決は、それまで高裁や地裁で国の責任を認める判決が出されていたのを一挙に転換、ときの政権と一体化、原発ゴーを示した反歴史的な決定だった。人間の命と企業の利益とどちらが大事なのか、それを日本の最高裁が判示したと言える。 

 「少なくとも人間の生命、身体に危険のあることを知りうる汚染物質の排出については、企業は経済性を度外視して、世界最高の技術、知識を動員して防止措置を講ずべきであり、そのような措置を怠れば過失は免れないと解すべき」とは、50年前、津地裁四日市支部の「四日市ぜんそく訴訟」にたいする判断だ。 

  これについて、関西電力大飯原発や高浜原発の運転差し止め判決を出した、樋口英明元裁判長は「最高裁は五○年間すこしも進歩していないだけでなく、退廃の匂いさえ感じられる」と批判している(『ノーモア原発公害』)。 

  裁判官は右顧左眄(うこさべん)せず、ギリシャ神話の女神テミスの像に表されているように、剣の力と秤の公平さを示す。目隠ししているのは情実を排しているからだ。 

  樋口元裁判長は、最高裁判所は「法の支配」の最終的な担い手、という。ところが、22年6月の最高裁決定は、最初から「結論ありき」の姿勢だった。 

  菅野博之裁判長は、「国に責任はない」と判示した1カ月後に退官、その翌月、5大法律事務所である「長島・大野・常松法律事務所」の顧問弁護士に就任した。いわば天下りだが、その事務所は東京電力が損害賠償請求された、株主代表訴訟の代理人を抱えた事務所である。

  同じく最高裁判事としてこの判決に加わった岡村和美裁判官は、おなじ事務所の出身であり、もう1人の草野耕一裁判官も、東電と関係が深い巨大法律事務所の代表経営者だった。これで公正な裁判になるのか。