鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

過労死を考える(上)  第193回

2024/05/08
  トヨタ自動車で働いていて、過労死した労働者の妻が、初めて弁護士に会ったとき「どうして車を夜、作らなければならないのですか」と聞いた、という(『過労死』過労死弁護団全国連絡会議編)。 

  それを読んで、不意を衝かれたように驚かされた。過労死された妻にしてみれば、当然の発言である。それを当たり前にしている「世間」が批判されている。昼に働いて夜は寝るのが、普通の暮らしのはずなのだ。 

  実はわたしは出稼ぎ労働者の取材で、トヨタ自動車の本社工場で半年働き、旭硝子船橋工場で2カ月(ガラス粉末が多く、喘息発作でダウン)働いたことがある。トヨタでも旭硝子でも、交代制の深夜労働はあたり前だった。旭硝子でのブラウ管製造のラインは、出稼ぎ労働者に任されていて、1時間45分働いて15分間の休憩、というシステムだった。 

  短期間でのカネ稼ぎが魅力なので、18時間、24時間を連続して働くひとは珍しくなかった。それもあってか、2カ月で3人が過労死。腰痛、寮の階段踏み外し、などで退職、故郷に帰った人たちがいた。わたし自身、状況の酷さを体験記として書いたが、交代制の深夜労働を疑ったことはなかった。 

  鉄鋼や窯業、石油産業など、加熱による業種は連続生産が必要だ。しかし、自動車の組み立てなどの交代制労働は、生産量を増やすためだけのものなのだ。それも深夜労働など、人間的な体内時計を無視し、人間の精神と肉体にいいわけがない。 

  近所に住む知人の長男(当時43歳)が夜になっても自宅に帰らず、翌朝、会社で死亡しているのが発見された。長時間労働とパワハラによる異常事態だったが、労基署が取り合わなかった。それで過労死弁護団連絡会議を組織し、全国の過労死と取り組んでこられた、川人博弁護士に紹介した。その活躍によって労災認定をかちとった。 

  大量殺人は戦争ばかりではない。経済戦争の犠牲者としての過労死、職業病患者は一向に減らない。人間のいのちと健康を奪う非人間的生産を規制するのは、裁判ばかりか、労働運動の役割だ。