鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

ミサイルと石垣島(中)  第196回

2024/06/05
  三上智恵監督の映画『戦いくさふむ雲』は、沖縄・琉球弧に急展開している、陸上自衛隊ミサイル部隊の配置と、それにたいする島びとの抵抗を記録した作品である。 

  8年前、2016年3月、台湾を遠望する与那国島に、160人の陸上自衛隊沿岸監視隊が配置された。「監視隊」という名の進駐が、琉球弧のミサイル要塞化の先触れだった。 

  それから8年経ったいま、宮古島、石垣島に対艦、対空ミサイルが持ち込まれ、ついに与那国島をもミサイル基地にする計画が発表された。さらに客船を係留させる、と大型港湾がつくられる。じつは軍港なのだが、島民を油断させてあざむく奇襲作戦。沖縄をさらに基地にしばりつける、辺野古米軍基地建設をみとめたのは、退任間際の仲井真弘多・県知事だった。2013年12月、安倍首相と会談したあと、それまでの「県外移設」との公約をやぶって、受け入れを容認、沖縄の人たちを苦しめている。 

  石垣市の中山義隆市長も選挙戦のときには賛否いずれかの態度をみせず、当選したあと、2018年12月、首相官邸で菅義偉官房長官と面会して、自衛隊受け入れを容認した。日本政府はアメリカ政府にしたがい、沖縄は日本政府にしたがう、ミサイル基地化。

  映画の中で、与那国島の自衛隊、沿岸監視隊長が住民に、「一番優先しなければならないのは町民のいのち」といった。と、それにたいして畜産農家の小嶺博泉さんが「わたしたちは一番いのちを粗末にされている国民なんだ」という。 

  与那国に最初に行ったのは、1974年11月だった。75年7月から始まる沖縄海洋博の先行取材だった。その時、石垣空港発、19人乗りのプロペラは満席で搭乗できず、海洋博が終わる前にようやく小型機の空席を見つけた。その後、石油備蓄基地への反対運動があって再訪した。 

  台湾から110キロ。そのなだらかな小島に異形のミサイルがたち並ぶとは、想像さえしなかった。 

  「台湾有事は日本有事」と安倍元首相が脅かし、麻生太郎自民党副総裁は「戦う覚悟が必要だ」と説教する。