鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

虚妄の核燃料サイクル(上)  第199回

2024/06/26
  6月中旬、佐賀県玄海原発敷地内で、使用済み核燃料(核のごみ)最終処分場を建設するための、調査がはじまった。これまでは北海道の寿都町と神恵内村での調査があったが、原発敷地内では初めてだ。 

  調査に協力するだけでも20億円が入る、そのカネの力に屈した。さらに四国電力の伊方原発でも、自社の使用済み核燃料を保管する動きがある。 

  しかし、最終処分場は世界でもいまなお、フインランドのオンカロで建設工事が始まっているだけで、地震大国・日本ではほぼ無理とされている。だから日本では、地下300㍍以上の地層内に埋蔵する方式ではなく、「キャスク」と呼ばれる、高さ5・7㍍、直径2・4㍍の円筒状の金属製容器に収容して、地上におく方式を取ることになった。 

  いわば「仮処分」だが、地上、地下ともに安住の保証はまったくない。原発の終わり、デッド・ロックの象徴でしかない。にもかかわらず、岸田首相の原発延命政策は、無知、無責任、集団自殺行為といっていい。 

  原発はいまさらいうまでもなく、活断層だらけの地震列島・日本にはもっとも不向きな発電装置だ。パイプだらけの原発が大地震に耐えられるどうか、事故時に住民が無事に放射能圏外に脱出できるか、それらの不安すべてを、カネの力で押し切った暴政が、日本の原発政策だった。 

  いま、着工から31年が経ってなお、稼働の見通しがまったくない、青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場の実態を見れば、核政策がいかに馬鹿げたものだったかがわかる。 

  六ヶ所村への「核燃料サイクル」建設は、1969年の「新全国総合計画」(新全総)時代に計画され、秘密にされてきた(拙著『六ヶ所村の記録』)。 

  着工して31年経っても完成しない工場とは、現代の怪談とも言える。日本の「国家事業」としての核燃料サイクル路線とは、技術評論家の山本義隆氏が書いている。 

 「核燃料サイクルの確立そのものを第一目的として核発電に取り組んだのである」(『核燃料サイクルという迷宮』)。