鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

虚妄の核燃料サイクル(下)  第201回

2024/07/10
  15兆1千億円。日本の年間国家予算の10数%。これがひとつの工場の経費だとしたら、「なんの工場か」と驚く、と思う。青森県六ヶ所村に建設された核燃料サイクルの総経費だ。 

  しかも、建設から31年経ってもピクリとも動かない、「死に体」の工場なのだ。9電力と日本原電が徴収する各家庭の電気料金から支払われている。だから電力会社が潰れないかぎり、いつまででも資金は続く。9電力と日本原電は独占会社だから、潰れる心配はない。 

  原発は地震大国の日本には無理な産業だった。それでもさらに技術的に困難な再処理工場を捨てないのは、使用済み核燃料は全量「再処理する」と強調してきた、いわば「未来のエネルギー」のシンボルだったからだ。 

  『日本の原発地帯』などの取材で、各地の原発や予定地をまわっていた時、「使用済み燃料はどうされるんですか」と質問すると、広報課員はえたりとばかり、「なぁーに、青森県の六ヶ所村に持っていきますから」と答えた。それから40年が経っても、肝心の再処理工場はできず、結局、それぞれの原発敷地内に保存することになりそうだ。

   関西電力は、福井県の美浜、大飯、高浜の3原発の敷地内に、使用済み核燃料の「乾式貯蔵施設」を設置する計画を発表した。しかし、これは地元住民を裏切る行為である。「核のゴミ」は他所へ持っていきますから、というのが誘致の条件だったからだ。 

  「核のゴミ誘致許さじ然さはあれど他よ所そならよきやと人の問うあり」(小浜市・松本浩) 

   各地の住民がたがいに押しつけあう、そんな対立を防ぐにはどうするか。脱原発運動の今後の課題だ。最終処分場ばかりか「中間貯蔵所」でさえ、建設反対の運動が根強い。 

   すでに20年前に、杉山粛まさしむつ市長(当時)は、それまでの使用済み核燃料の持ち込みは、そのあとの再処理が前提という方針を、再処理なき「直接処分」でもよし、と変えた。 

   これから、積まれる札束の高さによって、最終処分でも引き受ける、という自治体が出そうだ。「核権力」の強制である。