鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

さよなら!志賀原発集会  第202回

2024/07/17
  大地震のあと、能登半島にはまだ行っていない。6カ月たってもまだ倒壊した住宅が片付いていない惨状を、テレビなどでみて、地震の影響の深刻さと救援と復興が遅れている状況にたじろぐ。 

  原発はたいがい、海上からしか全容をながめることができない場所にある。つまりは建設のとき、すでに危険な存在だったからだ。が、福島原発での大事故が起きるまで、逃げまどう住民の姿を想像できなかった。 

  地震から半年たった6月30日、金沢市香林坊ちかく、四高記念公園で「さよなら!志賀原発全国集会」がひらかれた。志賀原発を廃炉に!訴訟原告団などが主催、「さようなら原発1000万人アクション」が共催。地元の市民や労組の人びとのほか、福島原発事故の裁判闘争を担っている武藤類子さんや、宮城県・女川原発、新潟県・柏崎刈羽原発、茨城県・東海第2原発、島根原発などの原発各地から、1100人ほどが集まった。 

  志賀原発の2基は幸運にも、敷地内断層の審査があって、運転休止が13 年間もつづいていた。さらに、マグニチュード7・6を記録した能登断層帯にちかい、珠洲市の寺じ家け地区には中部電力、高屋地区には関西電力と、「珠洲原発」が計画されたが、地道な住民運動が阻止していた。取材先でのどこの原発地域にも転がっていた、カネにまつわる話。ここの取材でもなんども聞いた。珠洲原発計画の欲望を「凍結」にさせたのは、新潟県の巻原発阻止闘争とともに誇るべき勝利だった。 

  「原発立地という『国策』がじつはエネルギー問題でもなく、過疎地の地域振興でもなく、単なる巨大の利権の塊だったのである」(『珠洲原発・阻止へのあゆみ』)と書いた、北野進さんが、その日の集会の主催者のひとりだった。 

  大会スローガンは、「能登半島地震は最後の警告だ!」。原発は交通不便な過疎地、たとえば「もんじゅ」のように道のない半島の奥地。あるいは本州末端、下北半島の最先端だった。それが儲けのために、過疎地の人間の命などを無視して建設した、原発の恐ろしい本質を証明している。