道しるべ

「抑止力」の破綻を直視せよ

2024/08/14
2024年の「8月15日」

 「8月15日」を迎える。79年目の敗戦の日だが、世界は戦禍と軍拡の時代に逆戻りしつつある。非武装・不戦の9条は無意味なのか。猛暑の中、頭を冷やして世界における9条を考えて見よう。

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とする憲法前文の精神にたって9条は「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」とうたう。第二次大戦の惨禍を繰り返すまいとの全世界の願いが込められている。 

逆転し始めた歴史 

  しかし、「軍隊を保持しない」と憲法に明記した国家は第二次大戦後においても世界に稀である。多くの国は「国防」「安全保障」のために軍隊を保持し、東西冷戦時代には核軍拡競争も激しかった。 

  ポスト冷戦時代には、しばらくの間世界は軍縮に向かい「核なき世界」が期待された。だが今はどうだろうか。「新冷戦時代」といわれるように、歴史は逆転し始めている。日本でも「台湾有事」論が跋ばっ扈こ し、南西諸島の軍事化が強行され、米軍と自衛隊の一体の戦闘体制作りが急速に進んでいる。 

  侵略戦争を公然と肯定する国はない。しかし、「抑止力」の名のもとに戦争は準備され、「自衛」の名のもとに戦争は始まり、気がついたら戦禍の世界が眼前にある。30年前には思いもよらなかった光景である。 

抑止力のジレンマ 

 
「公正と信義に信頼」を前提とする外交は、「抑止力」とは両立しなかったのだ。「抑止力」の拡大は外交の余地を狭め、遂には外交が「抑止力」に負けることは、ウクライナの現実が教えている。 

  プーチンのような独裁者の侵略を防ぐには「抑止力」が必要というなら、GDPの6%を軍事費に投入できるロシア以上のことをしなければならない。平然と福祉を削る「強権国家」相手の抑止力競争には際限がない。抑止力のジレンマだ。 

  このような軍拡競争を喜ぶのは「死の商人」であり、「抑止力」競争はいつかレッド・ラインを越えるだろう。実際、今日はその瀬戸際にあるといってよい。 

  もとより、「非武装」を実現するなどすぐにはできない。しかし、9条をもつ日本だけでも「抑止力」を率先して削減することを求め、「不戦・非武装」の声をあげていこう。79年目の「8・15」を迎える私たちに、沖縄・広島・長崎・空襲の死者と、日本が殺したアジアの人々がそれを求めていると思えてならない。