鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

疑わしきは罰せず  第213回

2024/10/09
 「袴田無罪判決」の中継をテレビでみて、その喜びの陰にいる熊本典道さん(故人)の悲痛な表情を思い浮かべた。熊本さんは9月26日、再審無罪判決をだした静岡地裁で、56年前、死刑判決文を書いた裁判官だった。 

  彼のその後の人生を彩った悲痛は、もちろん袴田さんが冤罪死刑囚として、今日まで苦しめられてきた56年間に匹敵できるものではない。しかし、裁かれる者と裁く者、その両者の人生に亀裂を与えた司法の冷酷さに身震いする。 

  わたしは26日の無罪判決を確信していた。80年代に確定死刑囚4人に連続して無罪判決がだされたとき、最初に再審裁判が決まった「財田川事件」を、支援運動が始まる前から取材していた。『死刑台からの生還』とする本を書いたのだが、その前にも、高松地裁丸亀支部の裁判官だった矢野伊吉さんが出版した『財田川暗黒裁判』にも深く関わっていた。 

  再審開始は「駱らく駝だが針の穴を通るよりも難しい」といわれるほどに厳しい道とされ、「開かずの扉」といわれるのは知っていた。その反面、再審裁判が決定されたとは、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」があり、無罪に誘導されるのだ。

  袴田事件の証拠として、工場の味噌タンクから「発見」された衣類には、これみよがしに、赤々とした「血痕」が付着していた。9月18日の本欄に「証拠捏ねつ造ぞうの袴田事件」とのタイトルで書いたが、警察や検察側にとって「捏造」は致命的な犯罪性である。 

  1人の「死刑囚」の命がかかっていた。袴田巌の犯罪に疑問をもっていた熊本さんは、裁判長ともう1人の陪席裁判官とを説得できず、主任裁判官という任罪の判決文を書く役割を拒否できなかった。 

  戦後に発生していた4つの死刑確定事件のうち、2件は1人の殺害でも、死刑判決が出されていた。袴田さんが疑われた事件では4人が殺されていたから、有罪なら「死刑」が相当とされていた。 

  捏造で死刑。司法の闇だ。裁判の民主化のためにも、再審裁判への検察の横車。「控訴」を許さない制度化が必要だ。