鎌田 慧 連載コラム
「沈思実行」

「核燃まいね」の37年間  第171回

2023/11/15
  なん年ぶりかで、故郷へ帰った。なん年になるのか、と考えたがもうおぼろだ。途中駅の盛岡や青森市までは、用事があってなんどかいったが、青森からJRで40分ほどの弘前へ、足をのばすことはできなかった。 

  駅に降りたつと、全国展開のビジネスホテルが二つ、たがいに競い合うように背くらべをしている。全国展開のスーパーマーケットが蟹の横ばいのように横にひろがり、どこにでもある居酒屋チェーンの赤チョーチン。日本国中、おなじ風景になってしまった。高校生の頃に通った書店や古本屋は姿を消した。

  と、月並みな感想を抱いたが、今回、家族がいなくなってしまった弘前に帰ったのは、一通の手紙に誘われてだった。

  「観桜会もおわり、りんごの花も咲き、田んぼに水がはり始めました。岩木山の雪形に、おじいさんや動物がみえてくると、田植えです。同封致しました『おしらせ』にかきました様に、今年の十月の三一五回のデモで、デモは一区切りする事に決めました。もちろん、『核燃まいね(駄目)の気持ちは変わりありません』 

  1986年、チェルノブィリ事故のあと、子育てまっ最中の母親たちが、六ヶ所村に建設がはじまった、使用済み核燃料最終処分場はダメ(まいね)、との気持をこめて「放射能から子ども守る母親の会」デモをはじめた。最初の頃、わたしも講演に呼ばれて、参加した。 

  繁華街を通り抜けて弘前公園入り口まで、37年間。参加者がふたり、3人になってもつづけて、315回をむかえた。メンバーは70代が多い。雪道で転んだり、東北の夏もひどい暑さで倒れる寸前。それで一区切りにする、との報せである。長い間、ご苦労様といいたい、と返事を書いた。 

  10月28日、参加者63人。東京からわたしの顔見知りのライターやカメラマン、研究者などが参加した。それに三沢、青森などの友人たち。37年間、歩き踏み固めた道は未来につながっている、と解散地でわたしは挨拶した。手紙の主の倉坪芳子さん(70)は、このあとは、スタンディングに引き継ぐ、という。